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1月17日午前4時大阪発震災追悼日誌 [阪神大震災・記録]

1月17日午前4時大阪発震災追悼日誌

 親戚一家3人が圧死した湊川を今年も訪れてきました。復旧した阪神高速から輝ける闇の中に六甲道の駅が浮かんで見える。市役所も県庁も一部のフロアは明かりが灯っている。県庁前には待機のタクシーが道路にまではみ出していた。召集職員の再配備のためだろうか。湊川ダイエーのそばの被災現場は今は駐車場になってしまった。3年目にはいるのに自分の中の震災時計は1周忌のままのような不思議な気がする。車の中で5時30分までKiss-FMの追悼番組を聞きながらこの2年を遡っていく。

 宝塚・西宮・芦屋・東灘とバイクで駆け回ったボランティア。親戚の被災がわかってからは三田回りの裏六甲ルートで遺品堀出し。最初は使命感と高揚感にあふれていたのに、春には被災地の写真を見ても、頭痛と吐き気をもよおす始末。救援者にもPTSDの症状がでてくる。仕方なく神戸から離れていると今度は不安と不眠が襲う。
 1年たって普通に被災地に行けるようになり、仮設の訪問を始める。あまりの住環境のひどさに怒りがこみ上げる。補修計画を持って行ったら、「ここは仮の住まいだからあまり手を加えないで」の声。いずれ立ち退くものと釘すらを打たしてくれない。しかたなくノミで切り込みの細工を加工。これでは作業ははかどらぬ。でも救援物資も退去時に返還するとして、段ボールごと狭い部屋に積み上げて手をつけない被災者に強いことは言えない。住民票も神戸に残し、高砂の仮設で凛としてがんばるSさん80歳の言葉にこちらは頷くのみ。「でも、今はみんな来てくれるからいいの。公営住宅に当たって帰神したら役所はそれで終わりでしょうね。みんなが来なくなる方がこわいのよ」マスコミのお涙頂戴の追悼特集も大切でしょうが、報道陣の来ない遠く離れたここの仮設のふれあいセンターでは「神戸市はこれから、わしらをどなしてくれるねん」と話す声がSさん宅にまで聞こえてきます。壁が薄いプレハブでは窓を閉めていても、隣なら明瞭に聞こえてくるのです。

 そろそろ花束を持って駐車場へ行く。エアジャッキで大きな梁を持ち上げたあたりに花を置き、数珠を持つ。午前5時46分黙祷。目を開けたら線香とワンカップを持った近所の人がいた。「今年もきてくれたんか」

    震災3度目の朝に


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